top of page
Lisa Digeon

リサ・ディジョン

東洋文化学院INALCO日本学部
パリ - 2012 - 2015

同志社大学MEXTプログラム
京都 - 2015 - 2016

日本語能力試験一級
京都 - 2015

私は1994年、パリ地方で生まれ、日本に情熱を感じながら成長してきました。

日本語の学習から日本への移住、キャリア展開などについて、私のストーリーを以下に書きましたのでぜひご覧ください。

​オン・マイ・オウン

0~21歳 – 生まれつき情熱的

私は幼い頃から日本に強く興味を持っています。

 

言葉のイントネーション、日本の風景やアニメなど、すべてを魅力的に感じていました。この謎めいた国についてもっと知りたいという思いが強く、小さいころに日本の文化や言葉を学び始めました。

 

10歳から独学で日本語を学び始め、中学校ではパリの語学学校(YUTAKA)で週1回日本語の授業を受けていました。

 

この時期 に新しい夢を抱き始めました。それは、日本に行くことです。

 

この夢に向けて、勉強に集中し、高校では日本語を専攻しました。大学はフランス東洋言語文化学院(INALCO)の日本学部に入学し、2015年に学士号取得しました。

大学三年生のときに、日本大使館で行われるコンテストに登録し優勝しました。日本の文部科学省の国費奨学生を獲得し、日本語の勉強を続けるために京都の同志社大学に入りました。

長年の努力の成果がやっと出たと実感し、日本に出発しました。ついに夢が叶ったのです。

21~25歳 – 外国人在住者の人生 夢と現実

2015年9月、私は京都に移住し、大学で勉強をし始め、日本の文化の様々の側面を知ることができました。

 

できるだけ日本にどっぷり浸かるために、国内で旅行し、アルバイトもしてきました。ホテル、レストラン、コンピュータグラフィックスなどのいくつかの専門分野で経験を積みました。 

 

私は日本人のマナー、几帳面さや時間厳守を学び、また友達との絆を深めました。私はいつも日本語しか話さず、フランス語を忘れるのではないかと心配していました。

 

しかし、日本で4年間住み、よく考えた結果、家族のそば、そして自分のルーツに戻ることを決め、フランスに帰国しました。

25~27歳 - 秘密裏のプロジェクト

高い日本語能力を身につけることができた私は、2019年末フランスに帰国し、自分の未来を考え始めました。

 

生活するため、アルバイトを始めた頃、翻訳の道が頭の中に浮かび始めました。しかしその矢先、フランス及び世界でコロナが広まり、私の新たな夢の実現を阻んでしまいました。

 

しかし、状況にかかわらず、私は諦めずフリーランスになるための手続きを始めました。お客様になり得るあらゆる方に連絡し、自分のキャリアをゆっくり準備し始めました。

27~30歳 -急速なキャリアアップ

私は2022年4月に翻訳の最初の契約を結び、翻訳者としての活動に挑みました。

 

漫画、ウエブトゥーン、アニメの字幕などを翻訳していましたが、数ヶ月後、とても孤独な仕事だと気づき、別の活動を加える必要があると思い始めました。

 

2023年のジャパン・エキスポで、最初の通訳の仕事をしました。イベント中、漫画家に同行し、講演会、インタビュー、サイン会の際に通訳をしました。

 

この仕事のおかげで、自分に天職に出会たと強く感じました。コミュニケーション能力が高い私が自分の仕事に自信を持ち、たくさんの褒め言葉をもらったことで、この業界で続ける決意をしました。

 

通訳の仕事をもっと探し、独学で訓練し、経験豊富な同僚のアドバイスを聞きながら自分の手法を磨きました。

 

私はいつも笑顔で社交的ですし、カメラとマイクにも抵抗はなく、メディアやエンターテインメント関係の仕事してるとき自分らしく働けるため、これらの業界を専門にすることを決めました。

 

ネットワークを作り、自分が通訳しているときのビデオをネットで乗せ、一流の経験を築き上げ、早く名前を知られるようにしました。

 

ジャパン・エキスポのときには日本のゲームデザイナー同行通訳、アヌシー映画祭では日本のアニメーションスタジオのサポート通訳、またフランスに訪問してきたゴジラの衣装のクリエイターに同行したTF1(フランスの公共放送)撮影通訳などを行いました。さらに、トップユーチューバーSQUEEZIEのビデオ撮影では、日本人のゲストの通訳を行っています。

 

私は常に質の高いサービスを提供できるように心掛けています。顧客満足度を確保し、プロジェクトの機密性を守りながら最初から最後サポートしています。

bottom of page